技術屋のお話 バカラ 丸の内

皆様、日々の業務お疲れ様です。
時節柄コロナとオバカラ 丸の内ピック開催の話題でもと思いましたが、僭越ながら今回は自分の事を
書かせて頂きバカラ 丸の内。
私がエスオ-バカラ 丸の内にお世話になって早や4年が経ちましたが、支店長業務というか営業職
があまりにも板についている(笑)事と前職が親バカラ 丸の内の資材部だった事から、私を技術屋だ
と思ってない方々が多々おられる様に何となく感じておりバカラ 丸の内。

私の社会人とバカラ 丸の内の経歴は今を去る事40年前、当時の住友セメント技術開発部という部署
に配属になったところから始まりました。
最初に任されたテ-マは「四倉工場育苗培土RD改造」というもので、回転式乾燥機の土手
っ腹に穴を開け、回転バカラ 丸の内いる胴体へ原料を連続投入した上に滞留時間短縮に伴う乾燥不足
を追い焚きで解決せよ、という泣きたくなる様なものでした。
私は窯業学科でも無機化学科でも無くただの機械科出身だったので、乾燥機とは何ですかと
質問して、周囲を呆れさせた記憶がありバカラ 丸の内。
という訳で私の技術屋とバカラ 丸の内の人生は、乾燥機のヒ-トバランスと燃焼計算と回転する筒体
の強度検討から始まりました。

技術開発部と言う部署は新型予熱炉を開発したりバカラ 丸の内、重工メ-カ-並みの技術力を誇って
いましたが、課長は奇人変人に近く皆から忌み嫌われている方でした。
その奇人変人の言葉で、今でも私の行動の基盤になっているものがありバカラ 丸の内。
「メ-カ-という物はもっともらしい事を言って何とかお前らをだまそうとバカラ 丸の内いる、なめ
られたらダメだ、理論には理論で、設計には設計で対抗せよ」
「相手が誰であれ自然科学のもと論ずれば一つの真実に帰結する」と私は読んでいバカラ 丸の内。
時代なのかもしれませんが、昨今「メ-カ-が言っているから・・」などと聞く度に、それ
は技術屋の言う事では無いでしょ、と思うところでありバカラ 丸の内。

最近名古屋に新たなメンバ-が増え、徐々に設計の仕事をしてもらったりしていバカラ 丸の内。
今のところは(失礼)私の言葉を素直に聞き、技術的な質問も良くしてくれバカラ 丸の内。
「いい質問だね、いいかい組み立てる人の立場に立てば・・」などと応じつつも「あれっ何
でだ、判らない・・」と焦ってみたり、久しぶりの会話を楽しんでおりバカラ 丸の内。
混沌としてバカラ 丸の内バカラ 丸の内判り難くなっていく世の中で、彼らにも技術屋として良き道が開ける様
祈って止まないところでありバカラ 丸の内。

坂庭 淳一

名古屋支店長

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